ボルチモア子供のためのグループホームを開始する方法
サッカー日本代表: ボルチモア・ワシントンDC スポーツ通信
明日はサッカー日本代表対アメリカ代表の親善試合を観戦する.そんなことのために空路5時間半もかけてサンフランシスコまで来たのか?
そう言って呆れる人もいるだろう.興味のない人には理解出来ないかもしれないが,僕には見逃すことの出来ないチャンスだ.
僕がサッカーに興味を持ったのは100%兄貴の影響だ.サッカーに対する関心が極端に低かった1980年代の初め,兄貴の部屋にはバルセロナのユニフォームを着たベルント・シュスターのポスターが貼ってあった.当時,僕等の情報源は毎週土曜夕方の「ダイヤモンド・サッカー」(テレビ東京)と1か月遅れの情報が載っている月刊誌が全てだった.スポーツ新聞に海外のサッカーの記事が載るようになったのは,僕が大学生になってからだ.
なぜ我々は物語を語りません初めてサッカー場へ行ったのは1991年,アーセナルのホーム「ハイバリー」.語学学校の先生がマンチェスター・シティの熱狂的なファンで,一緒にアウェーサイドの立見席で観戦した.スタジアム全体でシティ・サポーターは5%くらいだったと思うが,間違いなく僕以外の全員が熱狂的なファンだったので,立見席の熱気は凄まじかった.あれ以来,一度も立見席では観戦していない.もっとも,今では安全面の理由で立見席自体が消滅しつつある.この試合で一番印象に残っているのは,入場ゲートで8ポンド払おうとしたら,子供料金の4ポンドしか請求されなかったことだ.僕は当時20歳だったが,14歳以下にしか見えなかったようだ.
同じ年の9月11日,ウェンブリー・スタジアムで観た「イングランド対ドイツ」が初めての国際A マッチだ.イングランドはまだリネカー中心のチームで,ガスコインは怪我で長期離脱中だった.試合はリードレのヘディングでドイツが1対0で勝った.
我々は最高の友達があなたに背を向けることはありませんと思っていた1993年には同級生のT,Kと3人で渡英し,6週間の滞在中にロンドンとグラスゴーで3試合観戦した.ユナイテッドではブライアン・ロブソンがまだ現役だったが,主力はエリック・カントナ,マーク・ヒューズ、ピーター・シュマイケル,アンドレイ・カンチェルスキスら外国人だった.19歳のライアン・ギグスが国中のスーパー・アイドルで,プロ契約したばかりのベッカムはまだ試合に出ていなかった.リバプールではイアン・ラッシュが,レンジャースではマーク・ヘートリーがまだそれなりに活躍していた.アーセナルはベンゲル就任前の退屈なチームだった.
1996〜97年頃は日本代表の試合に凝っていて,東京で行わ� �るゲームはほぼ全試合観に行っていた.当時,国立競技場開催の試合は東京都サッカー連盟がチケットを管理していた.発売日には連盟の事務所に電話して購入する仕組み.チケットぴあなどに移管されたのはいつからだったろうか?代表戦の思い出は多いが,中田の代表デビュー戦(日韓戦)で北島三郎の「君が代」を聴いたのが懐かしい.99年9月,横浜国際でのイラン戦を最後に代表の試合は観ていない.
星条旗とその意味ベストゲームは1999年9月,国立で開催されたシドニー五輪予選壮行試合,日本U-22対韓国U-22.フル代表メンバーを何人も揃えたチームは4-1で韓国を粉砕した.1失点も大勢が決してロスタイムに入ってからだったから,試合中ずっと笑いが止まらなかった.2004年3月にアテネ五輪の予選も観に行ったが,あの時のチームとは比べ物にならないほど弱かった.
その試合の直ぐ後に4泊6日でマンチェスターへ行った.どうしても一度オールド・トラフォードへ行ってみたかったからだ.試合前,子供たちに混ざってベッカムやスールシャールのサインをもらった.日本に帰ってみんなに見せびらかしたが,当時まだベッカムの知名度は低く,ほとんど何の反響もなかった.試合中はスタジアムの雰囲気に鳥肌が立ちっぱなし.あの日は人生で最高に幸せだった瞬間のひとつだ.
その年の冬,ユナイテッドはトヨタカップで来日した.チケット価格が尋常でなく高騰していたので観に行くつもりはなかったが,競馬で稼いだ兄貴が1枚75,000円のチケットを僕の分も買ってくれた.国立競技場で僕等の隣には三浦淳宏が座っていた.
2000年6月,イスタンブールでの学会の帰り,アムステルダムの空港でU教授夫妻ら4人に「じゃあ,僕はちょっと用があるのでここで...」と突然別行動を切り出し,有無を言わさずその場を離脱した.ブリュッセルで弟と合流しEURO2000「イタリア対ルーマニア」を観戦.予定では「イタリア対イングランド」になる筈だったが,いつものごとくイングランドは予選でこけてしまったため,そんな地味なカードになっていたのだ.僕らが到着したブリュッセルは,フーリガンがひと暴れして帰国した後だった.
先日,同期入局のAから久し振りに連絡があった.数年前に医局を辞めて郷里の医大へ移籍した彼は,東京にいる頃はいろんなサッカーチームに所属していた.頻繁に僕を誘ってくれる� �がいなくなってからというもの,サッカーをする機会がめっきり減ってしまった.そのAが「秋からロンドンに留学することに決まった」とのメールを送ってきた.僕は価値観が完全に偏った形で確立しているので,人のことを羨ましいと思うことは数年に1度しかない.けれどもこの知らせを聞いたときは,心底Aを羨ましく思った.おめでとうA,破産するまでスタジアムへ足を運べばいいよ.
こうして振り返るまでもなく,サッカー観戦はもう十分に満喫してしまった感がある.だから最近は時々Jリーグに足を運ぶ程度になっていた.それでも「いつかは...」と胸に秘めていたものがないわけではない.それは「日本代表のアウェーの試合」「チャンピオンズ・リーグ」「南米」の3つだ.今回そのうちのひとつが叶う.チャンピオンズ・リーグはいつか行けるだろう.南米は独身ならまだしも,現状ではちょっと厳しくなった.サッカーシーズンのブラジルかアルゼンチンで開かれる学会に参加するしかないだろう.
明日が,待ち遠しい.
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