2012年5月6日日曜日

≪鬼塚英昭 著『黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア』 より要約(7)≫|MelancholiaⅠ


(6頁からの続き)

■スリーマイル島で何が起きたのか

原子炉が普通の状態で運転している間は、燃料エレメントを収めている炉心は普通の軽水で冷却され、華氏550度前後で保たれている。しかし、もしパイプが破裂したり、バルブが詰まったり、水の流れがスムーズに行かなくなったりしたら、燃料エレメントは熱の為に溶ける恐れがある。この他にも色々なケースが考えられる。もし、溶けた核の燃料エレメントが溶け出したら、そいつはドロドロの塊となって原子炉の容器を突き破り、地殻を突き抜けて、地球の反対側に飛び出すこともあり得る――。

アメリカの核技術者達は真剣に、そして些か大袈裟に、アメリカの原子炉から出た核燃料の塊が、地球の反対側の中国の何処かに飛び出すだろうと考えた。そして、この� ��象を「China syndrome」と名付けた。彼らは緊急炉心冷却システム Emergency Core Cooling System(ECCS)について研究を始めた。1970年代の初めである。

1971年7月、「憂慮する科学者同盟 Union of Concerned Scientists(UCS)」と呼ばれるグループがECCSの小規模な実験を幾度も行った。しかし何度繰り返しても、コンピュータで予測した結果は得られなかった。

≪≪米原子力委員会 Atomic Energy Commission(AEC)もこのグループの動きを無視出来ず、アイダホ州のアイダホフォールズ Idaho Falls にあるAECの実験炉でのテストを認めた。慎重に炉心を冷却する為に注入された水のうち、炉心に達したのは極僅かだった。福島第1原発の水注入が大した効果がないことは1971年のテストで証明済みだった。≫≫

このテストの失敗は新聞で広く報道され、全米ネットワークのテレビ局2局が特別なニュース番組を組み、原子力産業の信頼性を大きく傷付けた。AECはECCSについて公聴会を開かざるを得なくなった。公聴会は述べ125日間に及んだ。ここで明らかになったのは、「憂慮する科学者同盟」に、原子力産業の内部資料が沢山送られたことであり、ここが日本とは異なるところだ。

この公聴会を通して原子力反対運動の輪が広がり、世界中で盛り上がった。科学的疑惑と官僚主義への不満へと進展した。1974年夏、「原子炉安全調査 報告書」が出た。マサーチューセッツ工科大学 Massachusetts Institute of Technology(MIT)のノーマン・ラスムッセン教授 Norman Carl Rasmussen(1927-2003)の名を採って「ラスムッセン報告 Rasmussen report」と言う。

しかし、この報告書の中に、「大災害を伴う原子炉事故が起きる確率は、隕石が都市に落下する確率とほぼ同じで、100万年に1回程度である」という劇的な結論が書かれていた。ラスムッセン達はコンピュータを用いて、それぞれの条件を入れたのだった。金融工学を使ったウォール街の連中が「恐慌などあり得ない」と言うのと同じだった。AECから原子力行政を引き継いだ原子力規制委員会(NRC)さえも、ラスムッセン報告 Rasmussen report を正式なものとしなかった。

〔資料〕『The China Syndrome』 - Wikipedia

〔資料〕Union of Concerned Scientists(UCS) - Wikipedia

〔資料〕City of Idaho Falls - Wikipedia ※茨城県東海村の姉妹都市

〔資料〕Massachusetts Institute of Technology(MIT) - Wikipedia

〔資料〕Norman Carl Rasmussen(1927-2003) - Wikipedia

〔資料〕Rasmussen Reports - Wikipedia

     ◇

別の方向から見てみよう。

1960年代半ばに、メトロポリタン・エジソン電力会社 Metropolitan Edison Company〔※現・Met-Ed〕が巨大な原子力発電基地を、ペンシルベニア州ハリスバーグ Pennsylvania, Harrisburg 近くのサスケハナ川 Susquehanna River の中州であるスリーマイル島 Three Mile Island に建設すると発表した。

スリーマイル島1号原子力発電所 Three Mile Island Unit 1(TMI-1)建設に対して特別の反対はなかったが、TMI-1が操業開始して2年後から、周辺の市や村に少しずつ異変が起き始めた。TMI-1より更に大規模な原子力発電所Three Mile Island Unit 2(TMI-2)が1979年1月に本格的な操業を開始していた。発電所の周辺では犬や猫が流産したり、奇形のアヒルが生まれたりした。乳牛も子牛も死んでいった。

1979年3月16日、ハリウッド製のサスペンス映画『チャイナ・シンドローム The China Syndrome』がアメリカで公開され、大ヒットした。この映画で、「メルトダウン Nuclear meltdown(炉心溶融)」という言葉の意味を一般人が知るようになった。

TMI-2原子炉は1978年12月28日に運転を開始。その後、数週間もしないうちに、タービン試運転中にバルブが2つ故障した。翌年2月1日には、節気弁の故障で放射性物質の漏出があった。その1日後にはまた、パイプの密封シールが飛んでしまった。


1900年を通じてアメリカ1877年にカルチャーショック

1978年末から全米で原子力発電所への敵意が燃え上がっていた。原子力総合監督局は、「原子力施設数カ所で、情報を一般に公開すれば、一般大衆に警戒心を起こさせ、新たに反対活動が起こったり、進行中の反対活動を長引かせることになる」という報告書を出したが、その日付は「1979年3月30日」となっていた。それはスリーマイル島事件 Three Mile Island accident の2日後の日付だった。

もう1つの疑問点は、2カ月前から、爆発を起こしておかしくないような事故がTMIで幾度も起こっていたことである。それに映画とはいえ、スリーマイル島をモデルにしたとしか思えないような映画『チャイナ・シンドローム』である〔※Hollywood―Rothschildの関係については広瀬 隆氏の著作などに詳しい〕。何かが、このスリーマイル島の事故に隠されてはいないか?

〔資料〕FirstEnergy - Wikipedia

〔資料〕Susquehanna River - Wikipedia

〔資料〕Three Mile Island Nuclear Generating Station(TMI) - Wikipedia

〔資料〕Nuclear meltdown - Wikipedia

〔資料〕Three Mile Island accident - Wikipedia

     ◇

1974年、フォード財団 Ford Foundation のエネルギー政策プロジェクト Energy Policy Project が『選択の時 Nuclear theft:risks and safeguards』を発表した際に、「エネルギーに関しては選択が必要である」との見解を示した。その前年の1973年、石油禁輸の問題が発生し、石油が高騰していた。「世界の石油が涸渇する」と、プロジェクトは指摘。一般的なコンセンサスとして、物理的に不足しない期間はせいぜい10年間とした。

『選択の時』には、問題の核心はコストだと書かれており、核によるエネルギーかそれとも石油によるエネルギーか、人類がどちらを選択するか採択する時が来たというものだった。

2010年、ウィリアム・イングドール Frederick William Engdahl(1944-)の『ロックフェラーの完全支配・ジオポリティックス(石油・戦争)編』(徳間書店 2010年刊行)〔※原題:『A Century of War:Anglo-American Oil Politics and the New World Order』〕が邦訳された。事故に遭ったスリーマイル島の原子炉複合施設2号機の写真と、その下に映画『チャイナ・シンドローム』の原作表紙の写真が掲載されており、その2つの写真の中に或る文章が出ているので引用する。

スリーマイル島原発事故は意図的に起こされた可能性が濃厚である。狙いは、「反原発」心理操作だ。米英石油・金融利権の管理・監視外でエネルギーを自活されては困るからである。安全性や環境破壊への配慮などという高尚なシロモノではない。

≪≪この事故の前日には、御あつらえ向きにも、危険管理と報道管制を担う機関、FEMA(連邦緊急事態管理庁)が大統領令で設置されている。かくて、原因追及、事故の実態は隠蔽された。周辺住民はFEMAの命令下、避難を余儀なくされた。同月には、� ��発事故の恐怖を煽るハリウッド映画『チャイナ・シンドローム』が封切られている。≫≫

次いで本文から引用する。

スリーマイル島の原子炉複合施設の2号炉が、あり得ない「事故」の連続に見舞われた。後の調査で、重要な弁が事件の前に不正な手操作で閉じられていたことが判明している。その為に緊急用の冷却水が蒸気発生器に流れ込まなかったのである。

15秒以内に緊急バックアップ・システム Emergency Backup System が核分裂反応を停止させている。しかし、オペレーター Operator は、あらゆる手順を無視して、冷却水が炉心に入るのを止めた。その後どうなったかは、色々な文章に詳述されている。

1979年8月3日、米国の原子力規制委員会は、この事件の公式報告を行い、スリーマイル島事故の原因として6つの可能性を提示した。その内の1つは、妨害工作もしくは犯罪的過失であった。5つの原因は排除されたが、残るの妨害工作の可能性について政府は真剣に検討することを拒否している。

スリーマイル島事故 Three Mile Island accident は、チェルノブイリ事故 Chernobyl Accident と共に2大原発事故とされるが、それ程の被害は出ていない。むしろスリーマイル島の原発事故から14週間経った1979年7月1日、ニューメキシコ州チャーチロック鉱山 Church Rock uranium mill で起こった放射能の大惨事のほうが遥かに大事故だった。日本人がこの事故のことを知らないのは、日本のマスコミが取り上げなかったからである。


アリゾナ州カサグランデトップロースクール法律上の

チャーチロックの溜め池ダムが決壊し、1100トンの放射性粉砕物と9000万ガロンの放射性汚染水が、どっとアリゾナの方向に流れ出した。何の前触れもなく、流域の住民全てを襲ったのだった。洪水が突然、陸地から襲ってきたのである。洪水による死者はいなかったが、大量の放射性物質が広範囲の土壌を汚染した。核実験を除けば、このチャーチロックの事故が最大の放射能汚染なのである。この大被害を齎した源は、ウラン選鉱場 uranium mill の廃棄物だった。

再度、『ロックフェラーの完全支配』から引用。

ハリスバーグ Pennsylvania, Harrisburg のドラマが演じられている間、世界のマスコミ取材は、新たに設置されたホワイトハウスのFEMA(連邦緊急事態管理庁)によって厳しく管理された。政府の職員も原子力発電所の職員も、FEMAの検閲を受けた場合を除き、マスコミの取材に応じることを禁止されていた。

FEMAは、大統領命令 Executive orders で設置されたが、その構想は三極委員会 Trilateral Commission(TLC ※David Rockefeller)のホワイトハウスのアドバイザー、サミュエル・ハンティントン Samuel Phillips Huntington(1927-2008、※FER)が描いたものだった。不思議なことに、FEMAが業務を開始したのは3月27日で、本来の業務開始日として定められた日より5日前倒しだった。そして、スリーマイル島事故の前日である。

安全保障アドバイザーのブレジンスキー Zbigniew Kazimierz Brzezinski(1928-)〔※Barack Hussein Obama, Jr.のブレーン、FEMAの実質的創設者、CSIS顧問〕の指揮で、FEMAは、ハリスバーグの報道を完全にコントロールした。放射線の危険を示すものはなかったにも関わらず、周辺住民の避難を命令したのもFEMAである。記者発表を何日も拒絶し、「巨大な放射性水素の泡が空中に発生」などといったパニックを齎す空想ストーリーを見出しになるがままに放置したのもFEMAである。

また更に奇妙なのが、同じ月に公開されていたハリウッド映画の超大作『チャイナ・シンドローム』〔※主演のジェーン・フォンダ Jane Fonda はベトナム戦争で反戦運動を行い、1970年5月~、FBI、CIA当局が監視対象に指定した人物〕が、ハリスバーグの事故と瓜二つの空想物語だったことである。この映画が、原子力エネルギーの危険に対する人々のヒステリーを更に煽ったのである。

連邦緊急事態管理庁 Federal Emergency Management Agency of the United States(FEMA ※"フィーマ"と発音)に注目したい。何か事件が起きる前に、FEMAは出現する。どうしてかを、私達日本人は考えないように飼い馴らされている。真相はこうである。

9.11同時多発テロ事件があった時、FEMAはその数日前からツインタワー・ビル World Trade Center(WTC)〔※Nelson&David Rockefeller〕の周辺で"訓練中"だった。偶然か必然かは問わないが、ツインタワーが崩壊すると、その日からFEMAは鉄骨の後片づけを早急に開始した。コンクリートの破片だけが残った。

では、鉄骨はどうなったのか。

ニューヨークの港に、やはり数日前から大型貨物船が待機していた。鉄骨はその貨物船に乗せられ、中国へ向かった。どうして鉄骨だけが消えたのか?あのツインタワーに飛行機が衝突することが前もって分かっていた。その時、小型原子爆弾が仕掛けられていた。鉄骨に放射能が残存していればヤラセがばれるからである。あの事件以降、世界は大きく変わっていった。

では、スリーマイル島はどうだったか。

ここでもFEMAが事故発生前から待機していた。どうしてかは言うまでもない。TMI-2は2月頃か� �色々な故障が生じていた。何者かが何かを仕掛けていた。それが3月28日前後に、仕掛けたものの勝利が確定した。即ち、3月28日、その前後に必ず故障が起きるようにセットされたということである。

『チャイナ・シンドローム』が最初に製作され、絶妙の時期に一般公開される時、即ち、1970年後半からスリーマイル島事故に至る間、偶然にも数多くの原子力発電所で小さな事故が起きていた。前述したように、詳細を発表するとした総合監督局は、発表の日付を1979年3月30日とした。スリーマイル島の翌々日である。総合監督局は事故が発生することを予想し、発表しようとしたが、何者かに阻止された。確証はないが、FEMAに違いない。

1979年3月28日未明、午前3時58分にコントロール室の警報ランプが点滅し始め、給水ポンプの給 水が止まった。この原因は追究されていない。その後のことのみが色々な本に書かれている〔※『The China Syndrome』のあらすじがアリバイ作りの役割を果たしていやしないか〕。


見てグレートフォールズ、モンタナ州の場所

コントロール室の運転員がどのように計器を読み誤ったのかが問題視されてきたが、給水ポンプからの給水が突然止まれば、コントロール室の運転員がそのように操作使用とも原子炉を制御することは出来ない。炉心部から水が無くなったのだから温度も圧力も上昇する。だから運転員はやむを得ず、圧力逃しの弁を開かされた。放射能を帯びた水が原子炉建屋の床にどっと溢れてきたのも、操作ミスとは言えない。

何がスリーマイル島で起こったのか。大量の水蒸気が噴き出し、放射線が格納容器から漏出した。放射能が混じった水が、サスケハナ川に流れ込んでいった。

この一報は世界中に伝えられた。FEMAは直ちに報道管制を敷い� �。金融マフィアの最高のエージェントであるズビグニュー・ブレジンスキー Zbigniew Kazimierz Brzezinski(1928-)〔※Barack Hussein Obama, Jr.のブレーン、FEMAの実質的創設者、CSIS顧問〕はスリーマイル島周辺に既に配置していたFEMAの要員を動かし、周辺の住民を避難させた(東電と日本政府が、FEMAのように事前に福島第1原発の事故前に要員を配置していたようなものである)。

〔資料〕フォード財団 著, 松井賢一 訳『選択の時:アメリカのエネルギーの将来』(ダイヤモンド社 1975年刊行)

〔資料〕フォード政権の経済政策 By 松水征夫 1976年7月4日(PDF、全37頁)

〔資料〕Frederick William Engdahl(1944-) - Wikipedia

〔資料〕F. William Engdahl著, 為清勝彦 訳『ロックフェラーの完全支配 ジオポリティックス(石油・戦争)編』(徳間書店 2010年刊行)

〔資料〕戦争と「石油ピーク」~元「石油ピーク」信者の告白~ By F. William Engdahl - Beyond 5 Sences 2010年9月26日

〔資料〕殻に閉じ篭る「5次元業界」への怒り。 - ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報 2010年4月30日

〔資料〕Church Rock uranium mill spill - Wikipedia

〔資料〕放置された放射能被害―アメリカのウラン鉱山開発に日本企業が出資 By 森住 卓|全日本民医連 2011年3月1日

〔資料〕Samuel Phillips Huntington(1927-2008、※FER) - Wikipedia

〔資料〕原発廃材のフライパンで料理しますか? - 環境と原子力の話

〔資料〕Zbigniew Kazimierz Brzezinski(1928-) - Wikipedia ※Barack Hussein Obama, Jr.のブレーン、FEMAの実質的創設者、CSIS顧問

     ◇

≪≪この事故を有名にし、歴史に名をとどめさせたものは何だったのか。大きな事件・事故には必ず何かの裏がある。何もなくて大きな事件・事故は起こらないのである。

では、スリーマイル島の事件・事故 Three Mile Island accident はどうして起こったのかを説明する。日本の環境学者、或いは環境ジャーナリストは、コントロール室の運転員の誤操作にその原因を求め、それ以上は追跡しない〔※『The China Syndrome』のあらすじがアリバイ作りの役割を果たしていやしないか〕。1986年のチェルノブイリ事故も同じである。1970~80年代の10年間に何が起こったのかを見る必要がある。

前述したように、1970年の初め、「China Syndrome」という緊急事態を恐怖する社会現象が起きた。1971年7月、ボストンに本拠を置く「憂慮する科学者同盟 Union of Concerned Scientists(UCS)」が緊急炉心冷却システム Emergency Core Cooling System(ECCS)が不完全であることを追及し、米原子力規制委員会 Nuclear Regulatory Commission(NRC)も認めざるを得なくなった。

そして、NRCは「ラスムッセン報告 Rasmussen Report」に期待したが、原発不信の世論を阻止することが出来なくなり、フォード財団 Ford Foundation が遂に『選択の時 A Time to Choose:America's Energy Future』を世に問うた。フォード財団が動く時、歴史はいつも大きく転換する。あのバラク・オバマ大統領 Barack Hussein Obama, Jr.(1961-)は、フォード財団が仕立て上げた大統領である。

彼らは何を狙ったのか?原子力利用からの一時的な撤退と、その代わりとなる石油エネルギーの利用である。原油の涸渇説を彼らは流し始めた。俗に言う「ピーク・オイル説 Peak Oil Theory」である。結論から言えば、原発マフィアは同時に石油マフィアでもあったということであり、この原発マフィアと石油マフィアは、金融マフィアが支配しているということである。


スリーマイル島事故は見事な演出の下に、大気に放射性物質を放出し、ペンシルヴェニア州 Pennsylvania は放射能汚染されたが、原発マフィア達 Nuclear Mafia は石油マフィア Oil Mafia へと変身し、より一層の大儲けをしていくのである。原発マフィアの時代が去り、石油マフィアが興隆する時代がしばらく続くことにより、石油価格が年々高騰し続けた。私達は金融マフィア Financial Mafia の配下に石油マフィアがいて、石油価格が高騰して言った事実を知らなければならない。

「エネルギーを支配すれば、諸国を支配出来る」というヘンリー・キッシンジャー Henry Alfred Kissinger(1923-)の有名な言葉があるが、スリーマイル島事件以降、間違いなく世界のエネルギーの中心は石油だった。石油が高値をつけるにつれ、大量に消費されるにつれ、いつの間にか、ピーク・オイル説は消えていった。

しかしその後、金融マフィアは、原発マフィアをもう一度育てることになる〔※その間も核兵器産業は絶え間なく続いていた〕。その秘策として彼らが登場させたのが、ピーク・オイル説ではなく、石油を使った発電所が出すCO2が地球を温暖化させるという、とんでもない妄説だった〔※地球温暖化CO2犯人説〕。かくてまた、原子力発電所が復活してくるのである。≫≫

日本人はどのように原発と取り組んだのか?日本の原発マフィア達はひたすら原発利権を漁っていたのである。スリーマイル島事件も� ��ら教訓とはならなかった。

〔資料〕Nuclear Regulatory Commission(NRC) - Wikipedia

〔資料〕Union of Concerned Scientists(UCS)

〔資料〕Ford Foundation.Energy Policy Project著『A Time to Choose:America's Energy Future;Final Report』

〔資料〕Rasmussen Reports

〔資料〕Barack Hussein Obama, Jr.(1961-) - Wikipedia

〔資料〕オバマ大統領の本当の人脈 - オルタナティブ通信 2009年12月14日 ※Barack Hussein Obama, Jr.―Ford Foundation

〔資料〕原子力発電の推進の根拠は全て嘘である - Beyond 5 Senses 2011年3月30日 ※第1次&2次オイルショックの狙い、他

〔資料〕地球上でマクドナルドのハンバーガーを「食品」と認識する生物種は人類のみだった! - Beyond 5 Senses 2010年10月19日

〔資料〕戦争と「石油ピーク」~元「石油ピーク」信者の告白~ By F. William Engdahl - Beyond 5 Sences 2010年9月26日

〔資料〕≪Thomas Robert Malthus著『人口論』&菊川征司 著作複数、他、抜粋(19)≫|MelancholiaⅠ

〔資料〕≪Thomas Robert Malthus著『人口論』&菊川征司 著作複数、他、抜粋(20)≫|MelancholiaⅠ

〔資料〕日本人が知らないニッポン―隠されてきた歴史から読み解く世界の成り立ち - THINKER

〔資料〕アジア太平洋戦争・第2次世界大戦写真解説―アジア途上国 - 鳥飼行博写真館

     ◇

〔資料〕エジプトのネット遮断は米国でも起こりえる? - GIZMODO 2011年2月2日

〔資料〕大統領令 List of United States federal executive orders - Wikipedia

〔資料〕Executive orders of George W. Bush(2001-2009) - Wikipedia

〔資料〕Executive orders of Barack Obama(2009-present) - Wikipedia

〔資料〕FEMA - さてはてメモ帳 Imagine&Think! 2009年8月20日

〔資料〕日系人の強制収容と大統領令9066号 - Wikipedia

〔資料〕日系人強制収容所 - Wikipedia

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〔資料〕原子力撤廃 Abolition of nuclear power - Wikipedia

(8頁へ続く)



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